購入したツェルニーは、結局、何のアーティキュレーションの記号も、指番号さえも無いシンプルな楽譜でした。これなら校訂もなにもないものですが、変にいじくられているよりよっぽどましというもので、むしろ私としては好ましいくらいでした。それほど私はツェルニーを馬鹿にしていたのでした。 ところが、弾いてみて直ぐ、驚くべき事実に遭遇しました。実は、この楽譜は何の工夫もないどころか、傑作と言っていいほどの校訂だったのです。それは、ページのきり方にありました。私は自分で譜を打とうとしたので良くわかるのですが、改ページの場所が絶妙なのです。三声のリチェルカーレでは、曲中、二度、譜めくりが必要になるのですが、その二度共がペダルに頼らずとも全く音を途切らさずに譜めくりができるのです。それでいて、各ページのボリュウームに偏りがありません。ツェルニーは、やはりある種の天才と思い知らされた瞬間でした。それを馬鹿にしていた自分の方が愚かというものです。その後、ベーレンライターも手に入れましたが、当たり前のように、そのままでは譜めくりは不能でした 。 きっとツェルニーしか知らないならば、あまりにも、さりげなさ過ぎて、その天才ぶりに気づけもしないことでしょう。ツェルニーとは、音楽史に名を残す他の音楽家達のような華やかさとは一線を画す、ひそやかな天才なのでしょう。 あれほど崇拝していたブゾーニもチェンバロに転向してからは、華美が過ぎて興味が湧かなくなっていました。 というわけで、今は、ツェルニーが私の一番信頼する校訂者なのです。 What remarkable is the Czerny’s is that the page breaks. I can turn the pages without cutting the sound at all. And that at no pedal. And yet, the volume of each page is equal. So far from bat reputation, he is a genius. Now Czerny is my most reliable editor of Bach. https://www.instagram.com/p/CUxKI89lTIn/?utm_...
私が独学でピアノを始めたのは高校生の時でした。家にピアノが無いので、音楽室に入り浸っていました。 ある時、インベンションの1番を弾いていたら、音楽の先生が、ちょっと楽譜を見せてみなさいと言いいます。そして手に取って眺め、何やら難しい顔をしていました。次の日、これを使いなさいと手渡されたコピーは、一見してスラーの位置が違っていました。 それはブライトコップ&ヘルテルのブゾーニでした。実際にそれに沿って弾いてみると、 スラー、スタッカート、運指が示す、フレーズの区切りが考えぬかれており、完ぺきでした。こまやかな注釈、解説も、とても納得のいくものでした。それに比べると、今まで使っていた、どこにでも売っている(売っていたと言うべきでしょうか。今は一般的ではないようです。)全音楽譜出版の青い表紙のBACHは、アーティキュレーションの指示が、いかにもいいかげんに思えました。何も気にせず、 何も知らずに 買ったのですが、あらためて見直すとツェルニー校訂とありました。 その時以来、私の中ではバッハといえばブゾーニ。そしてツェルニーは最低の評価となったのでした。 時を経て、ピアノを再開した私が選んだのは迷うことなくブゾーニでした。とはいっても、ほどなくチェンバロに転向したので、ブゾーニとの付き合いは束の間で、もっぱらヘンレか音楽之友社の原典版のお世話になっていました。ところが、音楽の捧げもの、3声のリチェルカーレを探した時のこと。これがなかなかありません。ブゾーニどころかヘンレも全音でさえも出ていません。一つだけ見つけたのがベーレンライター。だけど、数ページしかないのに3千円近くもしています。これでもし、やっぱり難しくて弾けなかったなんてことになったらと考えると、購入には二の足を踏んでしまいます。IMSLPにもあたりましたが、誰が打ったのだか、誤記だらけで全く使い物になりません。でなければファクシミリみたいな、とても古いコピー。仕方ないからファクシミリを見ながら自分で打ち直すかと覚悟していたところ、やっと見つけました。 全日本ピアノ指導者協会ミュッセ というところで受注製本してくれるらしい。ただし残念なことに、この版はぺータスからのコピーで、ツェルニー校訂なのでした。 しかし、あきらめで買ったこの譜は、実は驚くべきものでした。 As the edit...